昭和48年7月8日 特別奉修委員
★今朝、旅は心の冒険だという事を頂いて、確かにあの、その通りだと思うですね。例えば日々、まあ平穏無事で暮らさせて頂いておる時には、その、人生もまた何でもないようにあるけれども、そこに雨が降ってきた、風が吹いてきたという事になると、それに信心で取り組むという事は確かに冒険です。今度それをいやというほど秋山さん体験したですね。けれどもそれが、あの、やはり、心の旅路というんですかね、信心の旅路ですよ。その、通り過ぎたところに、もう冒険、それが人の事なら冒険じゃない。すぐ簡単なごとあるけど、自分の事になってくるとやはり冒険だと。けれどもそれを、あの、通りおせる、通り抜かせて頂く時の心というものは、やはり冒険でしょうが。どうなるじゃろうかと思うでしょうが。けれどもそこんところをやはり、あの、信心で頂き抜かなければ信心が進歩しておるという事は言えないという事ですよね。
だから、日常何でもないという時には、もう十分分かっておるようであるけれども、さあ雨が降ってきた、風が吹いてきたという事になった時に、信心でどう頂きぬく事が信心かという事に直面する事はある意味で微かに、または深刻にそこに、あの、冒険を感じます。けれどもそこが信心の楽しみである。まあ、一つの冒険にはスリルがつき物ですけれども、そのスリルが何とも言えない。そして通り抜けたあとの爽やかさというか、有難さというものがまた格別です。そういう風に信心の段階というものはそういうところを通って、おかげを、だから、一生がそういう事だとこう思うですよ。難しい事に出会ったときに、そこをどう通り抜かせて頂くかと、日頃の信心にもの言わせるかというところがね、あの、旅は心の冒険だという意味の事ではなかろうかと、こう私は思いますね。
どうぞ。